余白

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システム設計と哲学的思考

「はじめての哲学的思考」という本を読んだ。

この本の読後メモは別で書くとして、この本を読んでどうしても書きたくなったことだけをメモしておく。


ドメインモデルというものがある。

ドメインモデル(英: Domain model)は、システムに関わるさまざまな実体とそれらの関係を説明するシステムの概念モデルである。

ドメインモデル - Wikipedia

ドメインモデルが明らかにするのはドメインという目に見えない概念空間の中で、個々の概念がもつ機能、属性や関係性だ。 そしてそれを言語化(文書化)することで関係するひとびとの間での共有知識とする。 これはある概念についての「共通了解」を組み立て言語化するものともいえる。これはまさしく哲学の思考である。 「Aとは何であり、何でないのか」という本質を洞察し、それを関係するひとびとの間で共有し、次なる思考の出発点とする。 つまりドメインモデリングは「本質観取」のステップを必要とする。

ドメインモデリングに限らず、システムアーキテクチャとはシステムコンポーネントの境界と関係性をデザインすることにある。 これもまたシステム全体、そして個々のコンポーネントについて本質観取のステップが必要である。

哲学が「よく生きる」ためにあるとすれば、「よいシステムを作る」ためにもまた哲学の力を借りることができるのではないか。 つまり、哲学における長い歴史の中の知恵が、システム設計にとってもまた有用なのではないかという仮説を立ててみたい。


こんな感じの心持ちで、引き続きしばらく哲学というものについて本を読むことにする。オチなし。以上

CircleCIからGitHub Actionsへの移行 (Node.js)

自作のライブラリのCIをCircleCIからGitHub Actionsへ移行したメモ

github.com

github.com

特にメリットがあるから乗り換えたとかいうわけでもないけど、GitHubだけで完結するならそれに越したことはない

ファイルの場所

.github/workflows/<ワークフローの名前>.yml だが、いまのところ複数作るユースケースが見えないので main.yml とした。

実行環境

ubuntu-latest を選択した。特に理由はないけど一応MacOSWindowsも選べるっぽい?

Software in virtual environments for GitHub Actions - GitHub Help を見るとわかるが、 めちゃくちゃ充実したプリインのソフトウェアがある。 yarn や Git、Docker、Chromeもなんの設定もなく最初から使えるのはよい。

今回の移行ではもともと circleci/node:carbon-browsers を使っていたけど、 ubuntu-latest だけで事足りた。 Node.jsのバージョン指定は node-version: [12.x] のところでマトリックスにできるので、実行環境とは切り離して考えられる。

全体

name: Main

on: [push]

jobs:
  build:

    runs-on: ubuntu-latest

    strategy:
      matrix:
        node-version: [12.x]

    steps:
    - uses: actions/checkout@v1
    - name: Run tests with ${{ matrix.node-version }}
      uses: actions/setup-node@v1
      with:
        node-version: ${{ matrix.node-version }}
    - name: npm install, build, and test
      run: |
        yarn install
        yarn build
        yarn lint
        yarn test:ci
      env:
        CI: true

もともと大したことをやってないので、あっというまに置き換えが終わった。

ポイント

  • yarn は最初から入ってるから気にしなくていい (現在は1.17.3っぽいが多分latest追従だろうか)
  • Chromeも最初から入ってるから気にしなくていい (Headlessはまだ試してない)
  • Node.jsのバージョン指定は actions/setup-node の引数で変えられる

ng-sake #15 を開催しました

8/23 に開催した ng-sake #15の運営レポートです。

ng-sake.connpass.com

ttskchさんが名古屋からLTしにきてくれたり、aquila1o1さんが福岡からお土産を持ってきてくれたりとバラエティ豊かな感じになりました。

今回は前回作ったステッカーの他に、マグネットも用意しました。冷蔵庫に貼ってもらう用です。毎日の生活のなかでng-sakeのことを思い出してください。

会場

今回も前回と同じく、スペースマーケット で借りた浅草のカフェレストラン well 浅草 を会場にしました。

well.restaurant

今回は会場のトラブルでプロジェクターが使えないというアクシデントがあり、参加者のみなさんにご迷惑おかけしました。 LT発表者のみなさんにスライドのURLをシェアしてもらい、みんなで手元で見つつ、前では僕がMacを掲げるという形式でなんとか乗り切りました。 ご協力ありがとうございました!

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アンケート

会場で集めたアンケートの結果です。

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お金の話

今回もKyash or 現金の参加費受付をしました。 前回に引き続き、現地決済に限定してQRコードを置くことにしました。

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収支

今回のng-sakeは 募集30人、最終参加申し込みは27人、実際の参加者は24人(laco除く) でした。相変わらずの参加率で助かります。

参加費は Kyash 14人、現金 10人、ということで初めてKyash優勢になりました。お金の扱いが楽になり助かります。

かかった経費と収支は以下のとおりです。お気持ちで心付けしてくれた方のおかげで今回は赤字にならずにすみましたが、心付けに依存せずにできるだけプラマイゼロで継続できればいいなあと思います。

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次回

会場探しがWebで完結し、フードとドリンクの準備負担も軽くなってきたので、このまま隔月開催でやっていけそうです。次回は10月!

参加してくれたみなさんありがとうございました!またお会いしましょう!

読後メモ: 『教養としての政治学入門』

いつもの読後メモです。

今回読んだのは成蹊大学法学部著の「教養としての政治学入門」。 成蹊大学法学部の教授陣の共著本になっている。

教養としての政治学入門 (ちくま新書)

教養としての政治学入門 (ちくま新書)

感想

まさしくタイトルの通り、さまざまな政治学のテーマに広く浅く触れられるいい本だった。 日本のことだけではなく海外の話もたくさん書かれており、いままで知らなかった各国の歴史的な政治の特徴や現代の課題を知ることができた。 なぜそのような政治体制を選択するに至ったのかという経緯の部分も書かれていて、前提知識はそれほど要求されなかった印象。世界史の基本的なイベントさえ抑えておけば大丈夫だった。

日本に住んでいると日本の政治の良くない点がよく目に入るので他の国が羨ましくなることも時々あるが、隣の芝生は青く見えるだけで、それぞれの国にそれぞれの課題があるんだなあと、当たり前のことを再認識できたので非常に読んでよかった。かなりおすすめできる一冊。

印象に残ったフレーズ

政治は面倒でひたすら手間がかかる。だが、それを引き受けることこそが、野蛮から離れる叡智である

政治とは野蛮から逃れる叡智である、というフレーズはけっこう沁みた

アメリカの大統領制は、権力とその担い手に対する徹底した不信感に基づいて設計されていた。権力の担い手が、少数派であれ、多数派であれ、王であれ、貴族であれ、民衆であれ、信用することはできない。今日的に言えば、政治家も、官僚も、裁判所も、第三者機関も、専門家も信用することはできない (中略) アメリカでは、政治運営上の効率性への志向よりも、政治権力に対する不信感が強いということなのであろう

アメリカの政治の基本的な構造、効率を捨ててでも権力の腐敗を避ける。うまくいっているかどうかは別として納得した。

参議院は関連法案を否決することで事実上予算に対する拒否権をもつのである。(中略) 予算関連法案を否定したり、内閣不信任決議と同様の効果をもつ問責決議を用いることで、参議院は、事実上、政府も引きずり下ろすことができた。衆議院が選出する首相と内閣を、参議院が否定すれば、循環が起きることになる。二〇〇〇年代後半から二〇一〇年代前半にかけてみられたのはこうした事態である。参議院によるこのような制度の運用は、内閣の不安定化をもたらした。憲法上の想定を超える強さを参議院は示していたことになる

これはまったく知らなくてかなりびっくりした。中学校では「衆議院の優越」と習っていたはずなのだが、現在の日本の国会は圧倒的に参議院が優越している。

日本で一般に経験されたのは「なしくずし」の「戦争から戦後への移りかわり」だったのではないかという観察であった。それは、「私状況」と「公状況」の関係性、「個人体験」と「国家原理」の関係性が原理的に十分に反省されず、ずるずると戦争に巻き込まれ、敗戦を迎え、民主化を受け入れたことを意味する (中略) その帰結は、「誰もが無差別、無限定に被害者であり、誰もが『だまされていた』という奇怪な結論」である。そこでは、「すべてわるいのは国家であり、その国家からは被害者体験をテコとして自分を切り離すことは容易にできたから、『だましていた』責任の主体は、それを構成する人間を欠いた国家という得体の知れない抽象体でしかあり得ない」ことになった。このような状況においては、国民の一人一人が「国家の敗北を自分自身の屈辱として」受けとることもない代わりに、「自分が真に戦争遂行者であると自覚」することもない

日本の戦後について。日本は戦争に負けた後、敗戦に失敗したんだなと感じた。国民全員が被害者となっていろんなものに蓋をしてしまったんだろう

日本やヨーロッパでは科学者の知見に基づいて解決を図るべきと考えられることの多い環境問題も、宗教的争点として位置づけられることがあるのが、アメリカの興味深い所である

まさか地球温暖化問題が宗教的に争点になっているケースがあるとは想像もしていなかった。 気候の変動は神の意思なのだからそれに人間が逆らえるなどおこがましいという話は、そういう立場があると知った上では理解はできるようになった。

次に読む本

次に読む予定の本は「対話をデザインする」。ちくま新書好きなので。

Angularのゼミを作りたい話

ふわっと考えていることの書き起こし。

最近、Angularのゼミのようなものを作りたいと思っている。

目的はいくつかあって、Angularのコントリビューターを増やしたいし、Angularについて日本各地でしっかり話せる人を増やしたいし、まだ僕一人しかいない日本のAngular GDEも増えてくれるとうれしい。 つまり、仕事で使いこなしたいとかそういう次元を越えて、Angularへの愛に突き動かされる同志を増やしたい。 しかしそういった人物をどのように見つければいいのか全くわからず、いろいろと考えている。

最初からそんな状態の人はいないだろうという前提に立って、僕が導き手にならないといけないだろうなとは思っている。 ただ、愛は他人が何かしてどうこうなるものでもないので、モチベーションというか素質というか熱量というか、そういう「心」的なものは育てられないと思う。 教えられることといえば知識とその獲得方法といった「技」の部分しか無いと思う。

世の中でそういうスペシャリストになりたい人を導いている場って先行事例が何かないかを考えると、まず思い浮かんだのは大学のゼミ。 学生それぞれが自分の研究テーマを持ち、その研究について専門的な知見を持ってサポートしてあげる場が思い浮かんだ。 Angularについても同じように、極めたいと思う人を迎え、その実践を支えてあげられる場をつくりたい。

よくある勉強会のような発表者ー聴講者という構図ではなかなか道のりが遠い。 関心を持ってもらう効果はあっても、その中からもっと深く知りたいと思っている原石を見つけるのは難しい。

もし「Angularのことが好きでスペシャリストになりたいと思っているけど知識や経験が足りていない」という人がいたとしたら、これは僕の役目として導いてあげないといけないと思う。 でも具体的にどうしたらいいのかまだわかっていない。 ということで、もしそういう人がいたら僕に連絡をください。TwitterのDMはいつでもオープンにしてあります。

いまざっくり考えてるのは、10人以下の研究会を定期的な開くこと。メンバーもある程度の期間の間は固定する。 全員がテーマを持って参加し、対等に議論しながら考えを深めてもらう。 そういう「場」を作れたらいいなと思っているけど、いつごろ動き出せるかは未定。

以上、書き起こし終わり。