余白

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誤字・脱字と文章の信憑性

結論からいうと、僕は誤字や脱字に無頓着な人間を信用できない。特に技術系の文章については敏感に反応する。

まず前提として、他人の書く文章や、他人の話す言葉には常に疑いを持って見聞きしている。 自分と相手では知っていること、バックグラウンド、考え方、すべてが違うので、最初から信じるのは難しい。 何度もコミュニケーションをして、「この人はこう言うだろうな」という推測ができるようになると、ある程度信頼度は上がっていく。

ここでの問題は、何を以って「この人が書いていることは正しそうだ」と判断するかということだ。 また前提の話になるが、他人の技術的な文章を読むときの状況は2パターンしかなくて、「自分のほうが知らない」か、「自分のほうが知っている」だ。 後者の場合には、その文章が正しいかどうかは中身を流し読めばだいたいわかるだろう。 問題は前者だ。自分は教わる立場であり、書かれている話が正しいかどうかというのはとても重要になる。 理由は言うまでもなく、その情報の正誤を判断できないからだ。知らないことを学んでいるんだから当然である。

じゃあどうやって「この文章で述べていることは正しそうだ」を判断するか、つまり信憑性を量るかという話になって、 そこで主題の「誤字・脱字」に戻ってくる。

単純な話、誤字・脱字がある文章とない文章、どちらを信用するかと聞かれたらまず後者になる。 きちんと他人に見せるように文章を書いていれば最低限一度は推敲をするはずで、 誤字・脱字が目立つということはまともに推敲をせず、書きなぐって即投稿していると判断する。

「文章が多少荒れていても内容には関係ない」という主張の人もいるだろうが、相手にするつもりはない。 なぜならここで話しているのは「自分のほうが知らない」状況であって、 確かに理解している人にとっては有益な情報なのかもしれないが、知らないものを教わろうとしている人間にはそれは判断できないのだ。

言い換えれば、これは「文章の第一印象」の話だ。その文章をある程度信用して、しっかり読もうという第一歩を躊躇させるのが誤字・脱字である。 「ちゃんと書く」という基本が出来ていない文章を「ちゃんと読む」気にはなれない。

誤字・脱字だけでなく、正式名称を正しく表記できているというのも大きな評価基準になる。 例えば「JAVA」や「Github」、「Javascript」などが文章中に出てくると、その文章への信頼が急降下する。 たかが大文字小文字の違い、内容には影響はないように見えるかもしれないが、さっきも言ったようにこれは印象の問題である。 その筆者の、文章への誠実さを推し量る上で、正式名称を使っているかどうかはとても重要だ。

文章の話ばかりだったが、これはプレゼンテーションでも同じことが言える。 プレゼンテーションにおける誤字・脱字はもちろんスライドの中の文章もあるが、言い間違いも重要な判断材料になる。 固有名詞や、特に難しくない英単語・漢字を言い間違っていると、「この人の話は大丈夫なんだろうか」という疑念が湧く。 一度疑念が湧くとその後の話は話半分に聞くしかなく、結局その話から得られる収穫は少なくなる。

他人に文章を読んでもらう、話を聞いてもらう上で、いちばん重要なのは自分の話を信用してもらうことだ。 相手が自分を信用しやすくなるように歩み寄るには、「正しく書く」ということが最も簡単で、最も重要な手段である。

[追記] s/嘘半分/話半分/