余白

https://blog.lacolaco.net/ に移転しました

映画「RBG 最強の85才」を観た

映画公開時から気になっていたが観に行けてなくて、ずっと観たかった映画「RBG 最強の85才」をようやくNetflixで観た。

https://www.netflix.com/jp/title/80240086

www.youtube.com

1933年ニューヨーク、ブルックリンで生まれたルース・ベイダー・ギンズバーグ。弁護士時代から一貫して女性やマイノリティの権利発展に努めてきた彼女は、1993年にビル・クリントン大統領に女性として史上2人目となる最高裁判事に指名される。以降も男子大学の女性排除、男女の賃金差別、投票法の撤廃などに、弁護士時代と変わらぬ視点から、法の下の平等の実現に向けて果敢に切り込んでゆく。若者を中心に絶大な支持を得る「RBG」はいかにして誕生したのか?彼女を良く知る家族、友人、同僚が母として、友人として、働く女性としてのルースの知られざる素顔を語り、彼女を支え続けた夫、マーティンとの愛溢れるエピソードも描かれる、全米大ヒットのドキュメンタリー。

僕は実話を題材にしたドキュメンタリーやドラマが大好きなので、この映画もそれで気になっていたが忘れていた。去年の9月にギンズバーグ判事が亡くなったニュースを聞いたときに「そういえば」とこの映画のことを思い出し、Netflixで配信されてすぐマイリストに追加していたがようやく観ることができた。

www.bbc.com

内容は期待通りで、とてもおもしろかった。ドキュメンタリー好きにはぜひおすすめしたい。「シカゴ7裁判」もそうだが、アメリカは国自体の歴史が新しいからこういう国の歴史的瞬間にまつわる実話がせいぜい数十年前とかだったりして、鮮度が高いのも好きなポイントだ。

youtu.be

話が長いのではなく、聞く時間が短い

scrapbox.io

  • 「話が長い」のが悩みという人へ
  • 長くなるまで話してしまうのは、「自分が話したい > 相手から聞きたい」だから
  • 有限の時間で、相手の話をもっと聞きたいと思ったら、自分が話す時間は短くならざるを得ない
  • 相手に関心を向け、「もっと聞きたい」と心から欲する
    • 「自分が何を言いたいか」ではなく「自分は何を聞きたいか」を常に考える
    • 「自分が何を言いそこねたか」ではなく「自分は何を聞きそこねたか」を常に考える
  • その先のファシリテーションへの道
    • 自他の枠を脱して、「場」について考える
    • 「誰が何を聞けていないか」を常に考える
    • 「誰が何を言えていないか」を常に考える
  • これは技術的な課題ではない

情報ではなく経験をアウトプットすること

調べれば大抵の情報は誰でも手に入る今日このごろ。特に技術的な情報はオープンソースで一次情報へのアクセスは容易になった。

それと同時に繰り返し言われるアウトプットの重要性。 しかし、ブログやLTなどでアウトプットしても、「もっと質のいい情報があるのに自分がアウトプットする必要があるのか」「逆にノイズになるだけじゃないか」というような考えになってしまう人もいるのではないか。

そんな架空の声にお応えして、それでもなおあえて、一次情報ではない「あなたのアウトプット」の重要性を伝えてみようと思う。

実際にやる人は多くない

定量的なデータがあるわけではないが、直感的に共感してもらえるだろう。 ある技術や手法が話題になったとして、それを情報として知っている人はこの時代いくらでもいる。 だが、それを実際にその手でやったことがあるというだけでかなり群衆からは抜きん出た経験を持つことになる。 ましてやそれをやり続けているともなればかなり独自性の高い経験になる。

かけた時間に比例してその経験は独自性を増す

少しサンプルコードで触ってみただけではもちろん同じ経験をした「やってみた」の中に埋もれてしまうだろう。 だが例えば趣味で実際に、アプリケーションをひとつ作ってみるとか、職場のプロジェクトに導入してみたとか、いろいろなコンテキストと組み合わせることで経験にあなただけの色が付いていく。 そして時間をかけ、たくさん経験するほど、その中にあなただけの部分が生まれやすくなる。継続は力になる。

経験をアウトプットできるのは自分だけ

情報はそれを知っていれば基本的には誰でも同じことを(少しずつ歪曲・欠損しながら)発信できてしまう。だからより発信源に近い一次情報のほうが好まれるのは当然だ。

だがあなたの経験はあなたが一次情報源だ。誰も同じ経験はできないし、その経験自体を否定することもできない。経験に正しいも間違っているもない。あるのは嘘か本当かだけだ。

だから、もし冒頭で書いたようなアウトプットの悩みを持っている人がいたらぜひ情報ではなく経験をアウトプットしてみてほしいと伝えたい。 実際に何かをやったということは思っている以上に貴重なことなのだ。

lacolaco.hatenablog.com

読後メモ: 『あなたのチームは、機能してますか?』

久々に読後メモを書きます。今回読んだのはパトリック・レンシオーニ著『あなたのチームは、機能してますか?』です。

きっかけ

この本のことを知ったのはTwitter及川卓也さんが好きな本として触れていたから。

THE CULTURE CODEもそうだが、チームを機能させるというトピックにはいつも興味がある。 また僕はこういったビジネスフィクションもの(確かOKR本も前半はビジネスフィクションだったね)は読みやすくて好きだった。

印象深かったところ

「 そんなのはチームじゃないわ。個人の集団よ」 ... 「あなたたち全員に売上げに対する責任があります。JRだけじゃありません。あなたたち全員にマーケティングに対する責任があります。マイキーだけじゃありません。あなたたち全員に製品開発、顧客サービス、財務に対する責任があります。わかりますか?」

各人が自分の担当だけに責任をもち、目標に向かって互いに連携しない姿に対する、CEOキャサリンの言葉。 チームとは何か、という本質を探る材料になると思った。

政治的とは、自分が本当にどう考えるかではなく、ほかの人にどう反応してほしいかによって、言葉や行動を選ぶこと

「政治的」という表現はあいまいに使われがちだが、この本を読んだ今では何が政治的で何がそうでないかを考える視点が変わった。 何か物事を変えるために、多様なステークホルダーたちを対話に巻き込んでいくことそれ自体は政治的でもなんでもない。 政治的とは、そのやり方が、相手を懐柔しようとする色をどれだけ帯びているかということだろう。

チームを構築するときの信頼とは、メンバー同士が相手に悪意がないことを信じ、グループ内で身を守ったり慎重になったりする理由がないと確信することである。要するに、チームメイトが安心して互いに弱みを見せられなくてはならない。 ... たとえば、あるチームメイトについて、これまでいつも質の高い仕事をしてきたのだから、次もいい仕事をするにちがいないと「信頼」する。  これは望ましいことかもしれないが、優れたチームの特徴となるような信頼とは意味がちがう。そのような信頼のためには、チームのメンバーが互いに弱みを見せ、そうした弱みが自分の不利になるように利用されることがないと信じる必要がある。ここで弱みとは、能力不足、対人関係における欠点、ミス、そして助けを求めることを指す。

よくチームには信頼関係が必要だというが、そもそもチームにおける信頼とは何なのかを明確にする一節。

衝突はタブーと考えられていることが多い。なかでも職場ではその傾向が強い。特に、組織の上層部へ近づくほど、優れたチームに欠かせない激しいやりとりを避けるために時間とエネルギーを費やす人が多くなる。 ... 意見の衝突を避けているチームは、メンバーの感情を傷つけないために衝突を避けた結果、かえって危険な緊張を高めていることが多い。重要なアイデアについてメンバーが腹を割って話し合い、意見のちがいをあきらかにしないと、裏で個人攻撃が起きることがある。その方が、問題をめぐる白熱した議論よりはるかに有害で、たちが悪い。

信頼の欠如によって引き起こされる2段階目の機能不全、「衝突への恐怖」に関する一節。起きるべき衝突を起こさなかったことは、問題への対峙を先送りするだけである。 そして多くの問題は時間が立つほどに複雑性が増していく。

衝突が不要だと考えているメンバーがいるかぎり、衝突が起きる可能性はほとんどない。

チームの全員が衝突を必要なものと考え続けるためには、やはり1段階目の「信頼の欠如」を克服してチームを全員にとって安全な場にしないといけない。

責任感の不足の大きな原因となるのは、全員一致を求めること、そして確実性を求めることである。

3段階目の「責任感の不足」を生み出す2つの大きな要因。 全会一致を求めれば、反対意見のメンバーを説得、懐柔する政治的なエネルギーを必要とし、結果として中途半端な決定だけが残ることになり、それを支持しようという責任感が欠ける。 また確実性もおなじように絶対にうまくいくと思えなければ決定されないというプレッシャーがチームの自信を奪う。 合意できなくても決まったことは支持する、確実じゃなくても決まったことは支持する、これらの土台になるのが1段目と2段目の信頼と衝突による「自分の意見は聞かれ、考慮され、十分に議論は尽くされた」といえることだ。

仲間の態度をとがめることによって対人関係が気詰まりになることに耐えようとしないことと、難しい会話は避けようとする人間の一般的な性質である。優れたチームは、このような本来の性質を克服し、他人との「危険領域に踏み込む」ことを選択する。 優れたチームのメンバーは、互いの責任を追求することによって、相手を尊敬していること、相手の仕事ぶりに高い期待を寄せていることを示し、それによって人間関係を向上させる。 ... チームの仕事で高い水準を維持するために最も有効な手段は、仲間同士のプレッシャーである。その利点の一つは、業績管理や改善措置をめぐる官僚主義的な手続きが少なくて済むことだ。尊敬するチームメイトの期待を裏切ることに対する恐怖は、どのような方針やシステムよりも、いい仕事をしようという意欲になる。

4段階目の「説明責任の回避」、チームメンバーが責任を果たしていないことに対して説明を求めること。その難しさを前向きに乗り越えられそうな視点を与えてくれた一節。 「尊敬するチームメイトの期待を裏切ることに対する恐怖は、どのような方針やシステムよりも、いい仕事をしようという意欲になる。」

チームの究極の機能不全は、メンバーがグループ全体の目標以外のことを気にするようになることである。 ... 現実には結果を重視しないチームが多いことを知っておくべきである。そのようなチームは、有意義な目標を達成するために存在しているのではなく、単に存続することが目的である。このようなグループの場合、信頼や衝突や責任感や説明責任がいくらあっても、成功しようという意思のなさを補うことはできない。

5段階目の機能不全「結果への無関心」。裏を返せば、何か共通の目標を達成するために存在し、信頼しあい、衝突し、責任を果たすのがチームであり、そうでないならグループ(=個人の集団)に過ぎないといえるだろう。

感想

成功するチームが乗り越え、成功しないチームが陥っている5つの機能不全について学べたことはとてもよかった。ありがとう及川さん。

5つそれぞれの機能不全を混同せず、かといって切り離さず、それぞれの機能が噛み合うようにチームを作っていくことが大事だと思った。 この本はパトリック・レンシオーニのビジネスフィクション3部作の3冊めらしいということで、残りの2冊もいつか読んでみようと思う。

謙遜しないと決めている話

僕は誰かに褒められたとき、謙遜しないようにしている。 褒められたら「ありがとうございます」「嬉しいです」「照れます」と、はっきり言葉で喜びを示す。 これを心がけはじめた最初のころは意識的だったけど、最近では意識しなくても自然にそう振る舞えるようになった。 これまで何人かに、「それいいですね」と言われることがあって、そういえばこの自分ルールについてちゃんと言葉にしたことがなかったなと思ってこの記事を書いている。

褒めたいと思ったあなたを否定しない

「謙遜しない」というルールの根幹は、「褒めたいと思ったあなたを否定しない」ということ。 褒めてもらったことが、自分が本当に認められたいことではないときもある。あるいは、何気なくやったことで自分ではそれほど価値を感じていないことのときもある。 それでも、相手が自分を褒めたいと思ったそのことはその人にとって疑いようのない事実である。「そう思った」という事実は誰にも否定できない。 だから、相手からの「承認を承認」する、これを一番大事にしている。

「褒め」と「批判」は裏返し

「褒め」と「批判」はベクトルが反対なだけで、他者の行為へのフィードバックという点では同じものだ。 自分でもよくできたと思うことを褒めてもらえたときは、それは自分がちゃんと他者にとって価値のあることに力を発揮できたということだし、 自分では大したことではないと思ってることを褒められたときには、自分の中の価値基準を見直すきっかけになる。 「あなたの行為はわたしにはこう見えていて、このように感じた」という情報は自己を高める上でのすごく貴重な学びになる。

このあたりは以前に書いた「プロフェッショナルとエキスパート」ともつながっている。 プロフェッショナルでありつづけるためには省察、自らの行為を振り返ることが大事だ。 他者からのフィードバックはその材料としてとても大きな価値がある。

blog.lacolaco.net

そうなれば、褒めてもらえる機会は多ければ多いほどいい。批判と同質ではあるけど、言わずもがな気分がいいのは褒められる方だ。 注意したり怒っても意に介さない人はそのうち誰も怒ってくれなくなる。それと同じで、褒めても嬉しくなさそうな人を褒め続けてくれる人も多くない。 自分の行為が他者にとってどのような価値があり、どう評価され、どう改善できるのか、学習するためにはフィードバックが重要になる。 だから、褒めてもらえることはすごくありがたいことで、その貴重なフィードバックには自然に「ありがとうございます」と言葉が出るし、 また次もフィードバックがもらえるように相手からの「承認を承認」したいと思う。